愛と幻想の

2001年2月18日
ファシズム中。

でもトウジの元気がなくなり中なのでこっちも一緒にダルダル中。うーーー。

で、実際問題。
日本が見捨てられることはあるか?

ワタシの考えでは、NO。
何故ならいくらでもモノをうりつけることができるし、輸出、輸入の対象としての、ハコとしての国が欲しいからだ。どこの国もね。だって内需だけで補えない場合、またはプラスアルファとしての市場となるわけだし、これが口が悪くて申し訳無いが発展途上国で国民が貧乏だったら捨てられるだろうがね、例えばインドとか。だってアメリカで開発したものを即効売りつけることができるわけだ、ここにはそいういう、アメリカ国民とおなじような需要のある国民がいるわけ、長い間の貿易により価値レートも確立されている、とても都合の良い、しかも国という形をもった独占市場にもできるわけだ。

だから政府が機能しなくて日本企業がひとつもなくなってもきっと国民は生きてるよ、生かされているよ、彼らの労働力となって、彼らの利益となるために彼らの製品を買うだろう。既に弱体化したナショナリズムが粉と散って消えるだけさ、実体の無い国というハコになるだけだろう。

ウム。

2001年2月17日
ヒサビサに前の前の会社の同僚と飲んだ。

みんな大変そうだぁ;;;
でもなんか、あの二人とは特に合うんだよなぁ。
年10くらい違うんだけどね。にゃはは
でも含みに意味をもたせる今の会社・・・日本企業・・・よりやっぱりすべてはっきりさせる、はっきりしている、誰がどうみてもわかるような仕組みの外資とそこで働いている人のほうがつきあいやすいかなぁ。つきあってて余計な神経使わなくていいっつーか。ダルいよ。旧態依然とした日本人。何やりたいのか全然わからないし、わからないと文句を言えばわかる必要はないと切り捨てられる。外資はそんなことはない、すべてクリアだし、それぞれのフィールドに足をつっこむこともない。論議したい問題を提起すればきちんとそれがすすむように皆が努力するし、代表者でさえ快く協力してくれた。

おーじーはちがったけどな。今の会社に似てるけど、あいつらは嘘下手だし

日本人て全部を明確にするの嫌いなんだろうな。
人と傷つけあったりするのヤだし、プライド高いから聞きたいこともきけないし、だからよけい進みが遅いんだよ。でも今の会社でもっとも厄介なのは何もしないしかたっぱしから聞いてきて何もできないくせに地位ばかりが高い役立たずなんだけどな。あんな厚顔無恥なヤツがたまにいて、妙にこのなぁなぁの世界にぴったりとフィットしてるから怖いんだよ。正しいことよりも間違ったことのほうが寄り添えたりするんだ、このひそひそ社会は。

ああヤダ!!!

2001年2月12日
今日は、中野ででーと。

鬱は、直りました。

ヴェルナルド・ヘルツォーク×クラウス・キンスキーの「アギーレ・神の怒り」を観た。映画というよりドキュメンタリーだった。現代の役者があまりにイモすぎるのか、私がわざわざそんなものを選んで観てきてしまったからなのか、キンスキーの演技はカンペキ過ぎてまるで実録のフィルムみたいだった。・・・一人の狂った男の。

中野の美味しいと噂のラーメン屋、青葉でラーメンを食い、(卵うまー♪)超かわいいミリタリーショップ(かわいいっつーか。。。ふつーなんだけど、すごく整理されてて状態が良かった。未使用品多数。店主らしきおばさまもいいひとだったし!また行くぞ!

てなわけで、結構良いかも、中野って・・・
ゴミゴミしてないし。

arikitari

2001年2月11日
太宰治の人間失格を読みました。
誰かサンに影響されて今読書熱が急上昇中なのよ、笑 鬱の時にこれを読むって世の中的に定番な気がするけれど、とても面白かった、なんだか他の書物とはまた違ったレベルのものだった。

世の中にはいろいろな書物が在る、そしてその中の小説というものの中でもいろいろなレベルのものがある、デュマのような冒険小説、完全娯楽小説から吉本ばななみたいにぺたりと感覚に貼りついてくるもの、サルトルみたいに乾いていて遠いように思えて実は自分の中にあるもの。太宰のこの作品はどちらかというとこういう書物はなかったけれど、こういう音楽はあったような気がする、似たような、ということだけれど。

これは或る一人の男・・・・後ろについている表論文によれば太宰本人をモデルとした人物の話で、まるで大麻をやって正常に生きていかなければならないという悲惨な話だ。まぁ、これは読んだ人にはわかるが、ストレートすぎる例えなんだけど。笑 でも人の子というのは、出発地点というのはこういう状態なのだと思う。赤子というのはその皮膚感覚や味覚が大人に比べてものすごく敏感であるのと同じように、精神的、神経的なものもすごく敏感なのではないだろうか。味覚は刺激を与えつづけることによって麻痺し、鈍感になり、より強い刺激物を口にすることができるようになるが、その心理・精神状態も全く似たようなもので、自分の中で或る状況になると暴れだす自分の分身の手足をぽきりぽきりと折って抵抗させなくし、冷静でいらえるようになる、鈍感になるのではないだろうか。 たとえば人と話す上で必要な緊張に対する耐性、侮辱に対する耐性などすべて、それぞれ分身がいて、そいつらの手足をぱきぽきと折らねばならない。ただその分身が暴れる状況にならないとどいつの手足を折るべきかがわからないので、その状況を経験することが少なかったり、その状況に自分を置くことに対する耐性が無い場合別の分身を黙らせてから出ないとそいつを見つけ出して抵抗を防ぐことはできないのだ。 自己の分身の手足を折ることになにも抵抗の無いやつがいちはやく大人しく大人になり、苦しみも少ない。そういうコドモがいまは沢山いるような気がする。彼らは実際にしかるべき状況に身を置かなくても、発達した勘によってだいたい生きていく上でどの分身の手足を折っておけば生き易いかの検討がつくので、あらかじめ精神状態を整えておくことができる。ただ実際の経験で得られる分身の正確な情報との誤差があるので、その部分が非常に弱かったりするのだ。彼ら自身はもうすっかりそれで生きていける気になっているのに、ただひなたぼっこしてぼーっとすることに対する耐性がなくてそこで躓いて起き上がれなくなったりして、それが歪んでいるコドモ像というヤツなのだろうか。妙に大人びていて、生意気で、でも非常に脆くて危うい。自分を攻撃からまもることができ、反撃することができても、自分の攻撃から自分を守れなかったりするのだ。

って、これは全く私にも当てはまることなのだけれど。

あいまいみー

2001年2月10日
曖昧なことを書くとですね、
そりゃあワタシの恋人であるひとは
それは誰へのどんな感情なのかをしりたくなるじゃないですか
でもほんとにセクハラされてたりするからさワタシは
くすくすくす

もしもし。

2001年2月9日
ハイ、鬱です。

もう蒸発して別の架空の人間になって山梨県辺りで生きたいですね。なんか超中学生ちっくですがもう家に帰りたくなかったんです。私で在りたくなくなってしまった。だからそのまま新宿歌舞伎町に行ってどこかのお店で身売りでもはじめようかしらとも思ったのです。そしてたまの休みにはクラブいってね。楽しいでしょう、沢山お金稼いで。もしくはいつかナンパしてくださったいかにもほっぺたに傷マークなおじさまにでも電話して、やたらと派手で下品な服を着て囲われて生きるのも悪くないかしらとか。

でも、本当は芸子さんになりたかったんです。
こんな礼節の無い女なんか雇ってはもらえないだろうけれど。それも、白塗りとかじゃなくて、東京とかでやりたかった。本場京都でとかではなくて。

もしくはストレンジ・デイズにでてくるようなとてもお金のかかる遊びの道具になりたいな。自分のために国民の血税が右往左往するのは面白いかもしれないでしょう。

あとは調理師さん。
腕一本で生きてみたかったんですよ。
あとは弓をやりたかったんだけれどなぁ。これは今でもやりたい。

なんだかバッファーがいっぱいになってフラッドしちゃってCPUもアガっちゃってすっかりハングしたみたいな状態。

そうそう、会社のCompaqったらX Windowが動かないの、信じられなーい。しかもマスターブートレコードもすっかり上書きしてしまったわ。また!まぁ別にCとFは消しても良いけどね。Eにつくったもんは全部とってあるし。ソフト入れすぎって感じだったし!

黒いチューリップというアレクサンドル・デュマの小説を読みました。すごーーい面白かった〜〜!!!これぞ小説!って感じ!もう最後とかヒサビサに時間のたつのを忘れて字面を追いましたとも。デュマは多作らしいので(しかも半端じゃなく)けっこう生涯をかけて楽しめそうですかも!例の岩窟王の作者なのですが、こんなにおもしろかったっけ。私のなかではこれぞ王道なのです。

気分が良くないのでアラニスでも聞こうと思ったんだけど、この間買ったSEIKIというコンポーザーのCDがラクでいいです。コンクリートの壁に埋め込まれた排水管に耳をすませたときの音がする。それがすごい落ち着いて好き。

ああ今はもう、音楽がすごい好きなんです
そしてそれを呉れた人なら信じられる気がする
でもその距離でしか人を信じることができないかもしれないのです、日常生活に全く関係していないという前提で、まるで小公女のお父さんやあしながおじさんのように。ポールヴァンダイクとかきいててテープの中に入っていきたいなんて思ってしまったわ。あそこは音だけしかないのにね。だって楽しそうだし気持ちいいんだもの。もうどうしたらいい。

ただ

2001年2月3日
everything was so fucked up there.
なーんてありふれた質問にどきっとする。

イヤ10年後は決まってても来年はわからないちうのがワタシなんで。

でさー、
ネットっていたづらに時間消費してくれてありがとう。退屈しないわ。
って感じで、ヤなやつ。
ワタシは甘えている。

アァはやくはやく!!


で何故か全く関係無いものに情熱が走りつつあるという。だからさー、趣味にとどめとけよ、絶対だぞ?→戒め

仕事してるんですけど。
一応。正社員で。
給料も悪くは無いのですが。
運悪く、(?!)バイトすることに。
ああ働き者!働きアリ!働き蜂!!!
イヤでも人生一つの職業だなんてもったいないがワタシのモットーですから。(この転職ヤロウ!)

葉巻。
タバコ嫌になったんで葉巻。
酒のんでげろげろ吐いたので。
女か?笑

ワタシやっぱり冷たくて美しくてきわどくてきれいで甘くて鋭くとんがったものが好きなんです。

ぺろぅり。

あは。爆

でも気が狂いそうなぎりぎりさというかすれすれさは大好きなんだけど脆いのはヤなんだな、だからイメージとして雪みたいのは本当に意図的にやりたいよね。偽善とかの狡さ加減で。

って何の話?ウフ

あぁ邦画を、
観まくりたい。文字は今はちょっと堅めの文学とかがいい。現代じゃないの、世界の有名純文学っていう分類に入るもの、こないだのサルトルとかみたいなの。今は読み物で密着したくない感じ。テレビデオ(又はビデオでっき)かっちゃおっかな〜〜って眠るの大好きなくせに、大丈夫か?せめて行きの電車で座って眠れたなら。っていうかおきるの遅くて良かったなら。

早く帰ろう。

・・ほんとに買うの?笑

熱の出た夜に

2001年1月26日
ひさしぶりに前の会社の上司とあって、
今の名刺を切らしてるんですとあやまって、
いけませんよとしかられているのに、
あとからあとから名刺を渡さなくちゃ行けない人が現れて、そのたびにその前の上司にしかられるという、

こないだやった失敗そのままの夢をみた。

ちっともやすらがない熱の睡眠。

うに。

2001年1月8日
今日はひっじょーに長い間行こうと思って行けなかったCONRANショップに行った。意外とたくさんの人がきていて、やっぱりおもしろかった。
けっこう、五年ごしとかか?笑
中学生や高校生が一人で見に行くには(何人でも;)合わない場所。ああ大人になって良かった。笑

あとは、数年前すきやったらぢお番組が相方といっしょやったりして、ちと嬉しかったり。こーゆーのって、ワタシの中ではすごく大事なのです。相方とは火の鳥で一番印象に残ったシーンが一緒だったり、BjorkのアルバムPOSTの中で一番好きな曲が一緒だったり、そういうカケラごとではままいそうでもそれが重なるのはちょっといないというような感じ。いいのさ、女ってなくっだらないことに拘って生きる生物なんだから。

***

ワタシは英語でダベるということができない。すごぉく苦手だ。単にそういう語彙がない(仕事で覚えたからなぁ)というのもあるけれど、(まぁこれは日本語でも一緒かァ。経済用語とか弱いもんな、ワタシ。)なんか、英語でのくだらないおしゃべりというのはすごく疲れるのである。挨拶まではいいし、人のはなしを聞く分にはまぁいいのだけれど、それでもけたたましくやられるとどっとつかれてもう一週間外に出たくなくなる。日本語でだってオバちゃんとかとオーバーアクションな会話を交わした後ヒッキー加減になるのと一緒なのだ。特にアメリカ人との日常会話は嫌いだ。

カヒミ・カリィもいっていたけれど、アメリカ人てのはやたらイベントをしたり毎日外で仲間と飲んでみたり違う国籍の料理を食べたりその際の家族の写真を飾り立てたり本当に賑やか。というかうるさい。爆 その点フランス人は個人主義がとおってて個々がそれぞれ好き勝手にやっていいし、近年の日本だってまったく住み心地がいいと思いませんか。(いやまぁしかし孤立しているのか独立しているのか自分でわからなくなっちゃうのが日本人のいいところなんだけれど)

時間に追われた現代社会では経済やら政治やらの場面ではこれは絶対に英語的思考回路でやったほうがぐんと効率もいいし生き残れるのだと思う。さらにイベントやら夢(映画とかはやっぱり叶わないでしょう。日本でいったいどの監督が企業から何億ドルも搾り取ってこれると言うのか)にかける情熱もすさまじい、あのアツさもいいところである。
しかしそんな喧騒とは関係無い時間というのも人生には多々あって、ワタシにはアメリカ人てやつぁまるでギャッツビーの世界みたいにとにかく騒がなきゃ生きてる意味がない、驚かなくちゃ話にならないというように映るのだ。まるで江戸時代の日本人の、町人図みたいだ。しかし日本人はそういう時間を正しく適当に過ごす方法を知っていて、温泉につかってぼーっとしたり、集団でまったり(うーん。笑)したり、ただ飲んだり、何もない山にのぼってみたりする。私達が大人になってなんだか思ったほど世の中って面白くないなァと思うのは、そういう時間の過ごし方を体得している途中だからなのかもしれない。

とにかく、ワタシは会社のかえりに今日は何をするから帰るといちいち説明しなくちゃ家に返して呉れないような民族はいやだ。家に帰って風呂を出た後に携帯に電話がかかってきて「でてこない?」なんていわれたらキレそうである。日曜日に20時間寝ていたら電話が何本もかかって来たりお迎えがきたりするのはゴメンだ。そっとしておいてほしい。
まったく、コミュニケーション過剰もいい加減にしておくれ。

・・・というのを考えると、やっぱり日本がいいなぁ。
きっと今海外脱出!なんていってるやつらも、ぜったい中年になったら帰ってくるのだぜ。

きょうのにっき

2001年1月7日
そもそもどうしてお正月プレゼントなんて買うことになっているのかと言うと、私がすっかり勝手にクリスマスプレゼントはなしにしていたからなのでした。だってクリスマスプレゼントって、お年玉のような感覚で考えていたから、まさか相方からもらうなんておもっていなかったんだよ!恋人達もお食事するにしてもプレゼント交換なんてするとは思っていなかったのよ〜(そんなのはバブル期の神話だと思いこんでいた。)というわけで、お正月プレゼントでカンベンしてもらうことになったのさ。

ビートルズと薄着について。

今年はみんな薄着だなァ。
ツイードやベロア、コーデユロイのジャケットだけ、コートは着ないというひとを多く観かけるし、コートも形の良い薄いものばかりだ。なんでだろう。みんなババシャツきてるんだろうか?だからあんなに薄着なのかな?ふかふかのダウンみたいなぶあついコートを愛する私としては理解不可能でござんす。そこのお嬢サン、ジャケットぱんぱんになっていますよ!

ワタシの世代ともなると親がビートルズ世代だからと言うことでビートルズが子守唄、ビートルズはなつかしくていとおしいと言いきる人ビトが多くいた。私の親も間違いなくビートルズ世代のはずなのだが、ワタシはといえばビートルズのビの字だって聞いたことが無かった。やっと10代になってからなんとなく聞いたことがあるくらいになったのだ。私はマイケルジャクソンやらマライア・キャリー、ホイットニーヒューストン、ペットショップボーイズの一発目、ユーリズミックスなんかを子守唄というか爆音で聞いて幼年期を過ごしたのだ。ビートルズの音楽は、其れらに比べれば10代のワタシにとっては、田舎くさい感じがした(!殴らないで下さい!)
し、ファッションもさして興味をそそらなかった。

ビートルズがきた、ヤァヤァヤァ(ヘンな名前)という映画がリバイバル上映されているということで今日テレビの番組のBGMでひさびさに聞いたのだけど、キミの手を握りたいんだ〜!と延々と歌う曲で、なんというか、可愛かった!可愛い!なるほど子供と一緒に踊りながら聞きたくなる曲では在る。うーん、子供が生まれたら一緒にきいてみてもいいなぁと思ったりした。まったく自分の生い立ちには混ざってはいないのだけれど。

きのうのにっき

2001年1月6日
今日は相方にお正月プレゼントを買おうと思って、中華街の奥の古着屋サンに向かったのだけど、まるで買い占め(それもオイルショック級の)にあったような棚のすきようで、まぁ、プレゼントに古着っつーのもアレだしな、と自分を納得させながらClutchのチョーカーを自分用に買って引き上げた。
スカートもみかけたけど、なんかもうめんどくさくなって出た。

その行き道に、あやしげな公園の通りには同じ色合いの神社・・・?があって、そのさらに手前のアンティークショップの3階にあやしげなコーヒーショップがあることも発見した。さらに古着屋の手前のパチンコ屋の並びにはちょっとした中国茶が飲めそうなお店があることも発見したけれど、今日はすごく混んでいた。手ごろな価格の中国茶セットもあった。かわいい。あのあたりは何回も歩いたら楽しそうだなァ。


村上龍の「希望の国のエクソダス」には、インターネットによるメディアの消滅みたいなことも描かれていたのだけれど、それはまったくもって、いままで人々がメディアによってせきとめられていた数多くの情報源に、ダイレクトに接することができるよ
うになったからだと思う。人々はメディア=第三者によって加工された情報などではなく、本人に直接聞くことができるようになった。ウタダヒカルのWebページにしたってそうだ。(親の離婚云々のときのね。)しかもその第三者とやらが情報を改ざんする確率や可能性が極めて高いこともわかってきた。いままで触れていた情報が如何に彼らの手によって制限されたかも露呈してしまった。たとえばいままでは私が環境問題についてしらべたいと思ったなら、関連情報誌をあたると同時に図書館にかけこみ、地元の図書館でたりなくなればもっと蔵書の多いところへと辿って行くしかなかったが、だいたいが図書館にある情報はすでに歴史だった。今いったい何をやっているのかを知るには関連情報誌や機関紙を申し込んだり、(その申し込み先を得るにも一苦労をする)新聞がたまに気まぐれでコラムや社会2面に載せるのに頼るしかなかったのだ。パソコンをあげてネットにつなぎ、アドレスを打ちこめばリアルタイムでチェックできるというのに!
メディアはだんだんインターネットのできない人のためのものになりつつあるように思う。ワイドショーやニュースがそのままWebの内容を報道することも最近では少なくない。テレビが及ぼすといわれた悪影響(受動的な大量の情報の享受)は、もはや限られた世代についてのみ言及されるものとなりつつある。インターネットとテレビ等既存のメディアの違いはその強迫性にある、と思う。ワタシはつけたらひたすら喋りつづけるようなやかましい箱は要らないのだ。PCはネットからぶっちぎれば沈黙し、ワタシの命令を待つ。Webサイトにしたって日本のサイトでは強制的に任意のサイトに誘導するようなつくりのところはまだ少ない。欲しいものを得るためのもの、がインターネットで、すなわち欲しいものをきちんと言えなければインターネットは面白くない。
インターネットが使えない大人達は取り残されるのが怖くて使いこなす子供達(それも小学生くらいの)を化け物のような目で見るけれど、この海を楽しく泳げているのならば、テレビにかじりつくよりは数倍も健全なのではないかと思う。逆に多分今まで情報を受動的に受けることになれてしまった人々のなかには正直いってインターネットのどこが面白いのかわからないという人が出てくるだろうと思う。
イヤだイヤだといった日記の件ですが、
リンクはロウと思ったんだけど、
どっかいっちゃった。

ので、再現すると、

:::::::::::::::

そのとき。
二人を包み込むような最高の夕暮れ。
オレはやさしく**をみつめて・・・・
キス。

::::::::::::::::::


・・・みたいな文章でした。
イヤ、これはかなり忠実なんだってば。
もうだってワタシ吐きそうやモンまぢで。
ってゆか、キーボード打つ手が震えるっちゅねん。キシャー!!
ボーズ、なんっか間違ってるぞオマエ!
あうあ〜〜涙
ちなみに、ねっとおなべという幸せな設定は無いみたいですぅ。他の日付の日記みてたらね。
けぷ。
おやすみなしゃい。

本日の小ネタ

2001年1月3日
友人に、今3つめの会社にいます♪
というのを年賀状に、三つ目の会社にいます♪
なんて書いたら、まるで写楽やパイの会社にいるみたいになっちまった。

わふ〜♪

2001年1月2日
続部屋のオ片付け。
・机の上(CDデッキとテレビの位置交換)
・引出しの中
・洋服

洋服は、ちょっちかわいいもらいもののブラウスのリボンが(袖をリボンで止めるようになっている。ラブリー♪でも色は渋めなのさ。大丈夫さ。)片方なくなっちゃってるのでそれを探し出す旅に。後は夏物が一部のこってるのでそれも収容。
引出しの中は荒れてきたので整理整頓。
・年賀状
高校のときの恩師3名に追加。
あとはねっともに年賀メール。
でんぐりって今年しけてるわね。KFCかMITUBISHIでしょ。Ynotでもいいけど、なんだか確率低そうで。

dancer in the darkをみた。
もうなんかかなしくてかなしくて。
題の通りで。
終わった瞬間は、「は、終わった」って一瞬ナミダがとまったんだけど、そのあとエンディングを聞いてる間にヒドイ〜ひどいよ〜エーンってなかんじになってもう映画館出ても(出るときに顔あらったのに)延々とナミダがとまらなくってだーだー泣いてた。

そうそう、年越しというか世紀越えは力そば食ってました。
リキッド、やっぱはいれなかったぽいのでこれは正解。んんで、一時からの再入場券販売までに電話かけまくった。一年ぶりくらいで話した友達もいて、すごいなつかしくていい時間だったナ〜。家にいるとどうも億劫でできないのだけれど、外にいるとノリでかけられるよね。そうさワタシは弱い人間さ。フ。

で、りきっど!
田中フミヤちょーーーーーーーーーーかっこよくってCo-Fusionはすんげぇ気持ち良かった〜♪フミヤはちょっとヤバかったナリ。頭おかしくなりそうだった。VJもかっこよくってさ〜。今回はいつもライブで使うステージのうえのほーうに(どうなってるのか謎)DJブースがあって、DJブースからステージ床までがスクリーンになってて卓球がまわしたときにフライヤーそのまんまのエがでてきてかっちょよかった〜〜〜!!!!卓球も相変わらずの変わりネタぶりでおもしろかったんだけど、初日の出を見に5時すぎくらいに抜け出してしまう。(これで7千円はちともったいなかったかのぅ。。。でもビックサイトだったらもっととられたしな。)

お台場は寒かった・・・ 
クラブに行くときはいつも中があっついので(ノースリでOK)それ用にちょい薄着だったため耐えられず。あったかいゆりかもめ上で初日の出(というか初晴れ…雲がでてて地平線からとはいかなかったのよね。来年再トライを誓う。)を拝む。
そのあと吉牛食って初詣しようかと思ったけど力尽きて帰る。でも幸せな年越し(世紀越え)でございました。

今日は福袋を買って、
一万円で
8枚のトップス
1枚フリースジャケット
一こポーチ
の計十点をげっと。かわいいのが多々ありにふにふモード。ポーチは化粧品につかいまつ。

で、いい加減御節に飽きたウチの家族は一家揃ってケンタとマックのジャンクフード・ダイニングでした。おかぁさんは楽そうでにこにこしとった。笑

ハイハイハイ!!

2000年12月30日
こないだもうロックはいいやなんてほざきましたが
単に好きな新たなあーちすとがでてこないので飽きただけで、実はスカコアとかもっとうるさいのが好きになっているような気がするんですゥ。きゃっ☆

Q 誕生日は何してましたか?
A 仕事してました(はぁと)
相手: おぉおお〜(→引き)
(両者同い年)

だってしょうがないじゃんかわりにクリスマスばりばりやすんじゃいましたもの。笑 ちゃんと家族でお祝いしてもらったもん☆

あのねあのねあのね〜〜〜〜〜
さっきちょ^−−−−−らぶらぶな日記presented by boy読んだんだけどさァ・・・・・
・・・
けぷ
###アレルギー反応###
ぞわぞわぞわ〜〜〜アァァアアアアああああ;;;;;涙
あのう、エログロちっくなのも大嫌いでございますがロマンチック・ボーイもカンベンして欲しいの。なんかこう、包み隠してほしいわけ!てれつつとかのほうが良いでしょうッ!なんかなんか恋愛してんのに男なのにナルまではいって酔っちゃうのってもうほんとに身の毛がよだって内臓に鳥肌がたつのね。ぷつりぷつりと。カンベンしてッ!いやきわどいんだけど!ワタシの基準も。でも具体的にこう中学生の頃みんな(女子)が読んでたようなピンクの文庫本ちっくな文章を、マジで男のココトバで書かれると

ゲロります。

あぁあああ思い出したのよそれで!
どうしてヤだったのか!
前つきあってたひと!
好きなんだけどこのアレルギーでちゃって帰りの電車とかでおえ。とか無表情で言ってました・タハハ
でたぶんそういう男のコ多いよね?最近。
よかった。
相方はあたりだ。
ああ。
きもちわるいよ〜〜しくしく

はぅ。

2000年12月29日
ダンサー・イン・ザ・ダークのプレビュー映像を見ただけでぼろぼろ泣いてしまった。
ビョークはおかしくなりそうなくらいのレベルの神経系統まで刺激することができるのだと思う、その声で。その危うさが美しいのだ、毒になるまえの食べ物がいちばん美しいように、いまにも自分を殺しそうな少女が美しいように、自分の身に危険を及ぼす可能性のある美しいものの発する空気のキワどさは、何物にも代え難い。適当にやればいいのに、映画の演技で相当パワーをつかった(というか絶対に注ぎ込んだんだろう、演技というより生きたのに違いない)らしく、直後の各国誌のインタビューではもうこりごりだというようなことを言っている。

椎名リンゴもそういえば、適当に生きるとかいうことのできない人のような気がする。自分をだまして全然平気なつもりでもいつか絶対に爆発したり、ひどい音や歌をつくってしまう。同じように危うさを持つ人だ。

んで、何故か片づけ中に「天ない」を読んで泣きまくる私。笑 あほやな。でもいつ読んでも泣けるんだなぁ。ワタシって単純。

友人もアイアン・ジャイアントを見て死にそうなくらい泣いてて、電話がかかってきたので泣きながら切ったら彼氏が即効帰ってきたんだって。笑 ぷふ。すごいよくわかる。

くらぶだっ!!

2000年12月25日
クリスマスは。
たっきゅーちょーーーーーーーーーーーーーー
カッコえかったッス。普通はもっと飽きちゃったり眠かったりするんだけど、疲れててもとりあえずちゃんと中でききたくて入ったりでも疲れて出たり。笑 しかしね、クリスマスディナーとクラブを一挙にこなせる服装を考え付くのに相当なやんだのですぞ、ワタクシは。 あー楽しかった!つかれてなんか気持ち悪くなったけど、聴く音楽さがしてていきなりカヒミをそのまま聞いているのでそんなものは飛んでしまいました。眠ろうと思ったのに。笑

「世界に唾を吐きかけたくなる日」のひとつの回答は、だいすきではなく好きなものに目をむけることでしょうか。だいすきなものには自分の日常の空気やむせ返るほどの思い入れなんかが邪魔してきっとズレたときはあわないのだとわりきって、そんなに好きなわけじゃないけど、嫌いじゃないものとか。突然カヒミ聞いたりね!きっと自分が自分を構成するためにダイスキなものというのは存在し、人々はそれを萬集するのではないかと思うのだけれど、その在ろうとする自分像からはみ出している状態とも考えられるから、これは当然のことかも。ということでこれがワタシの中のひとつの解決策。

欧米型多国籍企業というのは市場基盤のある国に現地法人をつくり商売をするというのが流儀なのだけれど、それを現地側つまり日本側からみたものが外資ということなのだろう。ところで、外資ばかりになってしまったら日本は困るのだろうか?いまのように開発や生産が分担されて各国で管轄されている状態で、外資系企業の侵食に危機感を募らせる意味は?ただの国としてのアイデンティティの喪失への恐怖?それとも経済制裁の可能性?外資に負けるなという号令があるけれども、外資のほうが魅力的で働きやすければ労働者はそちらで働くだろう。では、外資系企業の市場独占を恐れる理由は一体ナンナノだろう?COMPAQのような各国に根付いたああいう企業なら可?(あれが前に述べた流儀だと思うし、すべからく外資系企業があのような性質をおびているといっても差し支えないだろう。)これは、ちょっちおべんきょしないと。

他言語ドメインサービスによって一元的に見えたインターネットがまた再び言語によって分断されようとしている。商用からの侵食となりそうだが、またインターネットのことだ、フリードメイン会社がはじめれば(当分売り物になるのでどうかわからないが)あっというまにまた世界はばらばらになる。(IPアドレスで打つんかいな。;)
ワタシは全世界に伝えたいこともあるし、
忘れ去られた朽ち果てた世界の片隅でぽそぽそと呟いていたいときもあって、
でもその両方を同じところに書かなければワタシの人間というものに対して嘘になるような気がして、このような日記を書いているのです。

最近復活した関係のひとつである彼のページを訪れたら、Merry Christmasですって。

やられた。笑

あなたですよ。(ニラみ。嘘)

もうひとつ続く理由は、ワタシが認めない限りこの世界には外部からの干渉がないところだ。私はやっぱり感想を聞くための掲示板なんかを設けるよりは、まったくひとりよがりに片方向の情報発信だけをするのが性にあっているよう。

部屋の片付けがおわらないまま、
年を越すのだけはいかんとはおもいつつ。

ふぃ。

2000年12月23日
今日は何故か行ったら合コンでした。
飲んでるときは楽しいのだけれど、後処理が面倒なので嫌いです、合コンは。

いつかすごおくヒマなときがあって、適当に遊んでくれる人を探していたときがあって、(総裁もそれでみつけた)そのときメールをちらりと送った人が、何故か季節ごとにこまごまとおたよりとデジカメシャシンを呉れるのです。其れ以来一回も返事したことないのに!実に一年以上前のこと。今年は二回目のクリスマスツリーのシャシンが届き、英会話の先生とやらの写真もとどきました。返信を一回もしていないのに一年以上もめーる呉れるなんて凄い不思議。いつも読んだとき変わった人だなぁ、と思うのだけれど、今日記をかいているときにたまたままたその人からメールがきたのさ。

最近旧交を暖めつつあります。
風水では東の方角に葉っぱのいっぱいある植物を置いておくと人間関係が広がるということですがその肝心の鉢植えを半殺しというか死にかけさせたせいか、ぱったりと音信不通のひとになってしまい、あわてていまその鉢植えをよみがえらせようと世話をしたり友人にメールをうったりしているのです。やっぱり、ちゃんとしとかなあかんわ。総裁はなんだか来週末に飲むということで、なんか敬語で話されるのがムカつくのであまり気がすすまないのですがいくことにしましょう。フー。

あと一週間で年があけるなんて、
いったいなんてすぴーどなの!!!

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